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連載 水夢な人

岡田礼子さんの写真

水中運動研究家:岡田礼子さん
これだけで浮いて踊れる不思議 ―
スーパーおばあちゃま 快気炎

これで80代後半!?
これだけで浮いて踊れる不思議
― 68歳で初プール
教室なしで、なぞの背浮きを自ら会得、心臓病も腰痛もふっとんだ!

水が苦手な人にこそ 広めたい!スーパーおばあちゃま 快気炎

熱海 ホテルニューアカオで長唄に合わせて踊る

熱海 ホテルニューアカオでテノールに合わせて踊る

突撃対談 “マーメイドれいこ”さん こと 水中運動研究家:岡田礼子さん 「泳げない人はまずこの背浮きからスタートがとっても良いのです!」突撃対談 “マーメイドれいこ”さん こと 水中運動研究家:岡田礼子さん 「泳げない人はまずこの背浮きからスタートがとっても良いのです!」

※この対談は2016年に行われました。岡田さんは現在85歳、ますますお元気です。

岡田さんと初めてお会いしたのは昨年(2015年)11月、日本女子体育大学で行われたいかめしい「日本水泳・水中運動学会」の席上でした。
この学会は、主に全国の大学の名だたる教授、准教授をはじめとして若い研究者の年一回の総会兼例会でした。そこに専門の研究者ではない一般人が混じっているのは、7年前からですが“水狂”な私くらいなもんだろうと思っていたんです。そこに、なんと来年80になります、というおば様が論文発表あとの質問に発言する人がいたんで驚くと同時に、お話をお聞きすればするほど、勢いのある人特有のオーラがほとばしりながら、でも見栄や気取りはまったくない人で、人生すべてにおいて既成概念にとらわれないまっすぐ突き進む方だと知って、皆様にぜひご紹介したくなって、この「突撃インタビュー」になったという訳です。 話が盛り上がって4時間も経ってしまいましたが、以下はその中から抜粋して掲載させていただきます。

運動が苦手…68でボロボロになった身体のためには??
で、辿り着いたのが“水”でした。

【水夢王国】主宰者(以後“藤木”(‘_’)という):
さっそくですが、実は上に掲載しましたYouTubeの岡田さんの映像を拝見してビックリでしたんです。
たぶんそうとう水泳を長くやっていらっしゃるのでしょうね?
ああやって背浮きで音楽とシンクロして自由自在に踊っていられるということは、そうとうの「水泳の達人」とお見受けしましたが…。


岡田:
いつも皆さんからそう言われるんですの。
そうそう、私の泳ぎを見て「日本古式泳法」ですか、という方がおられました。 浮くため、推進するための動作は、期せずして似通るものですね。

私は68歳まで水泳に無関心、日本泳法など知る由もなく、世界を駆け巡ってフリーのライターをやっている間に身体がボロボロになってるのに気づいて、ようやく“自分整体のために”水へ辿り着いたんです。
単に魚やイルカ、水鳥などをイメージして、真似て泳ぐようになったに過ぎません。

(岡田)孫が「ばぁばのタコ泳ぎは、キモイ!スイミングの泳ぎとぜんぜん違う!」

岡田:
家の小さな孫がスイミングスクールに通っていて、小癪にも泳げてる。
「ばあばのタコ泳ぎキモイ」と抜かしおったんでございます。トホホホ・・・。

しかし正統な水泳を習った人々を代表するコメントでしたね。
その“タコ泳ぎ”が、上の映像の長唄とか日本舞踊をイメージするに至ったのですよ。私日本舞踊の経験全くないんです。笑って見てくださいね。


藤木:
ええ??ご自分で従来の水泳を覚える教室では続かないで、岡田さん独自で浮く方法を身体で身に付けられたということですか?!

それはますます興味がありますねえ。
私は、水泳、といっても競泳で55年、と水球を学生時代に4年間だけやりましたが、たぶん岡田さんのようにできる自信はまったくないですよー。


岡田:
いわゆる四泳法って殆ど続いたことはないんです!
逆に私流の、これができるようになって後から、いわゆる“水泳”が泳げるようになったくらいですよ。
単に魚やイルカ、水鳥などをイメージして、真似て泳ぐようになったに過ぎません。


藤木:
確かに日本人はほぼ100%に近い人が、水泳というと、いわゆる4泳法のどれかを自然にイメージすると思います。
でも、これは日本人だから、かもしれませんよ。

(藤木)泳ぐなら、まず4泳法から・・・これ日本特有かもしれませんよ?

藤木:
それは小学校体育の時間から水泳の授業があって、水遊びから始まって平泳ぎはこう泳ぐ、クロールはこうだ、と競泳をしっかり教えられて、なおかつ子供時代のお稽古NO.1のスイミングに行って更にそれが強固になるという、これは四面を海に囲まれた世界に誇れる水泳教育だと思います。

が、一方で日本においては競泳だけにイメージが固定化されているということも自覚しておかないといけないと思っています。


岡田:
競泳ご出身で、そういう柔らかな考えをお持ちの方がほんと少ないんです。水夢王国の王様がそういう方でいらして、すごくうれしいです。


藤木:
競泳出身と言われましても、私はたかだか国体に2度出場したくらいですから二流、三流のスイマーですよ。

(藤木)日本のシンクロが最初から強いのは戦国時代からの古式泳法があったから

藤木:
水泳競技と一口にいっても、日本で一番歴史のあるのは、海国ニッポンの村上水軍の時代から始まった「水術」や「水練」「踏水」とかの日本泳法があったんです。現在でも13流派が日本水連から認定されています。
他にシンクロも、水球も、OWS(オープンウオータースイミング)も、飛込みや最近ではハイダイビングもあります。これだけあるのに競泳以外の印象は薄いですよね。東欧諸国に行くと水球が国技になっている国もあるのにね。

シンクロが正式種目になって最初から、メダル常勝国になったその一つの勝因は、この日本泳法の、巻き足、踏み足、のし、等の技術の積み重ねがあったからこそなんです。
明治大正時代にはね、隅田川の両岸に日本泳法の各流派の道場が並んでいたんだそうですよ。
当時の鳩山一郎元総理とお友達だった藤井正太郎先生(元日本水連顧問・旧制京都帝大卒)の神戸のご自宅でお聞きしたことがあります。

競技でなければ、近年ではアクアと名のついた色々のエクササイズが盛んになってきました。他にも、最近注目を浴びている障がいを持っている方への水中リハビリの水治運動療法というのもあります。
【水夢王国】というこのWebSiteをPCの苦手な私が、18年前55才の時にスタートさせたのも、こういう広がりのあるものをもっと活用して頂けば、日本全体の健康増進、医療保険、介護保険の節減に、それが健康寿命の伸びに繋がって行くと確信しているからなんです。


岡田:
ほんとそう思います。大変うれしいことです!


藤木:
ありがとうございます。岡田さんがそもそもプールに入ってみようという69歳の頃のきっかけは?

国民学校の頃は、入院生活長く“小学浪人”

岡田:
厚かましくマーメイドなんて名乗ってますけど、カナヅチどころか運動音痴でした。プールなんかもっての外、野暮だった。生来の虚弱体質で、幼稚園から小学(当時国民学校初等科)にかけて続けざまに大病して、入院生活長かったので“小学浪人”しました。
両親は小児科医院の隣に借家を探し出して、引っ越したくらいです。
学校ではずっと体育の時間が怖かった。高校出て大学生になって一人暮らしするようになったころ、やっと人並みになったかなと、思えた。体育の授業から解放されたせいかもしれません。

68歳で 水 に辿り着いたきっかけは

岡田:
ウン十年経ち知らぬ間に脊椎がボロボロになって、腰を曲げても反らしても激痛。両足は痺れっぱなし状態になったのです。
やっと水中という異文化世界に踏み込んだ。ジャグジーのある歩行専門のプールでした。


藤木:
自覚されて身近な所から探したんですね。


岡田:
【水夢王国】にはまだ掲載されてなかった所です。(笑)


藤木:
たった一人でやっているものでなかなか追いつきません(笑)


岡田:
当時は名古屋におりましたので、豊田市の ほっとかん クア・レッツじゅわじゅわ(有料老人ホームの施設ですが一般に開放している所です) 下の図はその見取り図です。

波立つプールをみんなで歩く、そしてジャグジーに当たってうとうと・・・極楽でした。膝痛、腰痛、肩こり、糖尿病、脳梗塞後遺症など問題を抱えた高齢者やスポーツ障害の若者などが、波の中で歩くことによりどんどん快方へと向かう人々を目の当たりにして、希望の薄日が差して来るのを感じました。

この施設は健康・リハビリスパのモデルケースとして海外からも注目されていました。


藤木:
治ったのかな?


岡田:
いいえ、骨の状態はほとんど変わり無いのですが、水中を歩き、特にジャグジーでかき回されている波を押して歩いたため、筋肉が強化され、腰椎への負担を軽減してくれたのだと思っています。
結果痛みが和らいで来るにつれ、水中歩行にバリエイションを増やしつつ私の”水活“は進化発展といえば聞こえが良いですが、ひょんな方向に浮き足立っちゃったんです。
一例をあげるとひとりで「水中書道教室」なんてやってました。 水中でビート板の助けを借りながら足で字を書くのです。全身運動です。脳トレにもなります。その他面白いこと盛り沢山。笑いながらも真剣に。

カナヅチが浮いた瞬間

岡田:
温水のある別の施設も探索してみました。(愛知県東郷町いこまい館) 「運動浴室」という、小プールやウォーキング専用の流れるプール、小児用の円形プールなどがある施設。
弱者に優しい。12mほどの小プールは水泳も可。
スタッフさん達が優しいので、つい甘えてイケメンのスタッフさんに「水泳教えてください。カナヅチなの!」と。
言っては見るものですね。
「いいっすよ」と来ました。
プールサイドから「力抜いて寝て」
「寝る?」
「息吸って、止めて横になる」
「はあ?はい」
お兄ちゃんの言うことを素直に聞きましたの。
寝たら、沈みそうになった。
その瞬間、私の両腕は水底に向かって水を押していた。
「もがいた」のです。
すると「浮けますよー」と、彼。
見ると手をひらひらっとさせて指示している。急いで真似る。
「浮けた!」・・・以来、10年余り浮いています。 (笑)2人ペアになって、代わる代わるお姫様抱っこをして背浮きを支え合い、励ましいたわり合いながら練習すれば、案外たやすく浮けるようになるんですよ。

水泳教室だとやれ「ストリームラインを保て」だのと、ちとややこしいのですが、互いに親しみ、信頼し合う仲になれば、ものの15分で背浮きが出来ます。


藤木:
ふ~ん。、なぜ背浮き?


岡田:
自由に呼吸しています。するとリラックスして手足を動かすことができる。
動かせるようになると、踊りたくなります。「踊る」のは人の本能ではないかしら。世界中の人々皆、宗教的な踊り、民族の魂の表現のような土着的な踊りから洗練された芸術の高みまで、人は須らく踊りたがるものですね。
水に仰向けに浮いて呼吸を確保するや私は踊らずにはいられなかったのです。自然な成り行きですよ。全て即興ですの。
ナルシシズム(自己陶酔)と笑ってください。

皆さんも4泳法では知りえなかった水の新しい世界が広がります。
水を波立て、その波に体を晒し、委ねるということ、つまりは水に優しくマッサージをしてもらっていることにもなりますね。血管やリンパ節、深層筋が目覚めます。


藤木:
それまでの体調と比べていかがですか?


岡田:
お陰さまで“片目をつぶって”「健康で~す」。

経済雑誌の記者 ⇒ 出産 ⇒ フリーのライターに
バックパッカーしながらの 海外のすき間 取材が・・・

藤木:
青年期から壮年期になぜに身体がぼろぼろに?


北京の天安門にて

岡田:
仕事は経済雑誌の編集記者から出発して、出産を機にフリーの物書きに。
企画・取材・原稿書き、締め切りに追われる日々でしたね。子育てに追われた時期は、テーマは、身辺にのしかかってくる社会問題、自らの生活そのものの育児・教育、医療などでした。
特派員の家族として北京に4年滞在(1976~79年)したこともあって、国際比較-異文化交流に目が向いたのです。
北京では当時世界中から取材に来ていたジャーナリストや外交官とその家族と親しく付き合うことで興味を持つようになったの。
帰国後、やがて「グローバリズム」が喧しく唱えられる社会へと変貌。かつての北京の中での“国際社会体験”もあって、誰も書かなかった海外“隙間取材”にも挑みました。常にバックパッカーです。

その間、幸い病気もせず、たとえぐらっときても、過労、寝不足、貧血かな、ぐらいに思って慣れっこでした。
風邪は年中引いていましたがそんなものだと気にもせずやり過ごしていました。40代50代の頃、誰もが無理をしています。体を厭うなんて年寄岡田さんと対談《水夢王国》岡田さん紹介写真集り臭いことはまだしません。
体が蝕まれつつあることは分かり難いものですね。「放っておくと大変なことになりますよ・・・」という健康番組が、これでもかと押し寄せる時代になってもまだ、他人事としか受け止めていない。
並みの健康診断は年中行事として受けていました。「ちょっと血圧高め」くらいで、何も引っかからなかったのです。そこが不思議。

世界を駆けている間に身体が・・・
動脈硬化、脳梗塞、心不全予備軍、脊髄・・・

岡田:
楽観していました。光陰矢の如し。60歳代になってから、おや「放っておくと…」の最悪の事態の一歩手前まで来ていることが判明したのです。それは40,50歳から始まっていた動脈硬化でした。循環器専門医の門を叩いた時は既に「こんなに真っ白になってから来たって俺は知らん」と高名な老先生に言い放たれました。心臓の冠状動脈が石灰化していたのです。

水に仰向けに浮いて呼吸を確保するや私は踊らずにはいられなかったのです。自然な成り行きですよ。全て即興ですの。
ナルシシズム(自己陶酔)と笑ってください。
せめて10年早く気づいていたら、予防していたら、対策講じていたら、と地団太踏みましたが、後の祭り。

脳梗塞、狭心症、心不全予備軍、腰椎擦り減って、椎間板ヘルニアどころか椎間板がどこかへ消えちゃってる、両足は痺れっ放し、腰は前に曲げても後ろに反らしても疼く、膝も軟骨擦り減り、頸動脈も怪しげな塊が見られる。
全く無事なところ一つもないの。
これ、アラフォーから始まってたの。3~40年かけて出来上がった動脈硬化による血管内の「鍾乳洞」。
シロアリに食い荒らされたような大黒柱=背骨、このような生活習慣病は本人が知らず知らずの内に、脈々とすり寄ってきていたんですよ。

シロアリに食い荒らされたような背骨に

岡田:
もうボロボロでした。
心臓の方はその後、幸い名古屋ハートセンターでベテランの先生に出会い、心臓血管の石灰をドリルで削りながらのカテーテル手術を2回受け、危ないところを助けてい ただきました。
適度な運動、特に緩い水泳はいいねと、“水活は”このドクターのお墨付きです。その後の“水活”の本を出そうと原稿を書き始めているんですが、「本が出たら病院で売ってあげるよ」とまで。


藤木:
心臓をリセット出来て、ラッキーでしたね 。


岡田:
はい。更に整形外科的にも脊柱管狭窄症外、いろいろ悩みをを抱えてはおりますが、プールを杖とし、プールを楽しみ新しいことに挑戦し、水の恵みのお陰で、元気に過ごせています。だから私は若い人、40~50歳代の人に水中運動をお始めなさいと奨めずにはいられません。

「水夢王国」を訪れてきた皆さん、ご家族や友人、周囲の人々に水中の活動“水活”がどれほどアンチエイジングに効くか、健康長寿に良いか、心地よくて、QOL(クオリティー・オブ・ライフ)を高めてくれるかを周囲の人々に告げてください。


藤木:
それで毎日プールへ

(岡田)実は私、4泳法が泳げないの・・・

岡田:
プールに行きさえすれば体調がいいの。
だからプールの健康効果を皆さんにお伝えしているんです!
実は私4泳法泳げない。
平泳ぎとバタフライは整形外科ドクターストップ。
クロールと背泳ぎは見様見真似でしか泳げないの。
それもゆっくりの「ツービート」。皆さんのように6ビートキックすると、必ず足が攣りますし、心臓がついていけない。“心不全”状態です。だからマーメイドれいこスタイルのゆる泳ぎなの。この泳ぎの特徴は、休み休み泳げるということ。4泳法は常に足のキックか手の掻きをしていないと沈んでいきますね。だから力尽きたら溺れてしまいます。一方私流の岡田さん対談:“水夢な人”:《水夢王国》泳ぎなら力尽きるまで頑張る必要がないので、誰だって出来ます。体力のない人、整形外科的な問題を抱える人、糖尿病の方、高齢者・・・。

だから“マーメイドれいこ”流の ゆる泳ぎ なの

岡田:
背浮きのコツ一つを覚えれば、しゃべりながら、歌いながら、瞑想しながら、音楽聴きながら、楽しむことが出来ます。
若い人がやってくれると、かっこいいわよ。
私と違って、「もて泳ぎと化す」こと必至。(笑)


藤木:
浮いていられれば、出来そうですね。でも浮くのが難しいでしょう。


岡田:
背浮きのコツを私流にお教えしています。
4泳法における背泳ぎとも違います。
(→ゆる泳ぎの映像を見る藤木)
これまで沢山のカナヅチさんを浮かせてきましたよ。皆さん鼻歌交じりに“ゆる泳ぎ” に興じておられます。
パワーのある方は、ハードロックで力の限りハイテンポで泳ぎまくって下さい。逆行やターンを取り混ぜながら、いかようにもハードなアレンジ可能です。男子がやると「水中の貴公子、ゆずる君」になれるかもよ・・・。臆せずご自分の泳ぎを創り出してください。


藤木:
水という制約があるだけであとは自由ですから


岡田:
そうです。シンクロのような息を止め水中で真っ逆さまなどの、難しいことは一切なし。スピードも問われない。自分がしたいことをすればいい、身勝手なものでしかもリラックスし通しでもというんですから楽なものです。


藤木:
西川流の家元さんからも激励されたとか


岡田:
西川流家元にインタビュー申し込みましたら、事務局長の名倉さんと共に快く会ってくださいました。「日本舞踊をエクササイズに」という素晴らしいアイデァが本になって世に出るまでのお話もたっぷりとお聞きすることが出来、私の“水活談義“にも興味を持ってくださり盛り上がりました。
そして「私は脊椎損傷で、陸では踊れません。水中で応用することをお許しください。水陸両用で参りましょう」と提案しました。
家元を継がれたばかりの西川千雅(かずまさ)さんーこの方坂東玉三郎さんのお若い頃にそっくりなのーその家元が私に「水中で頑張ってください」と激励してくださいました。

さる国立大学の体育科専攻の授業や、西川流家元にも

岡田:
昨年11月、、さる国立大学の体育科専攻の水泳授業(全員男子)にお邪魔して私の泳ぎを紹介する機会に恵まれました。
こういう場に水泳の話をしに来るのは恐らくメダリストとか、記録保持者達でしょう。よくぞ私ごとき雑魚に、こんなお許しが出たと、教授の頭の柔らかさにまず敬服です。

さて文武両道の真面目な学生さん達は「奇ッ怪な泳ぎであることよ」と、私の動画像に“おったまげる”んだろうなあ、または「水泳じゃねーじゃん」と、上目遣いに笑われるんだろうか、いずれにしろ覚悟して臨みました。
ところが泳ぎどころか「マーメイドれいこで~す」と私が登場するや、学生さん達クスクス、中にはげたげた笑い出した。「あ~ら、なに笑ってんの」と私はすっとぼけて、みんなを睨みつけたの、30数名の大男たちを・・・。傍らの先生が解説賜りました。「マーメイドさんが来るとだけ言っておいたので、若い女性かと期待していたんですよ」(ン、分かってますとも、と胸の内・・・)「悪かったわね。20才×4人来たと思ってちょ-だい」で、シラケと爆笑が半々。
「私は一般の30℃プールしか入ったことがないんです。年なんで、大学の冷たいプールは、ドクターから禁じられているので、一緒に泳げず残念です。その代り私のDVDを持ってきましたので・・・」ということで、大画面のモニターに映してもらい、説明をいたした次第です。


藤木:
反応や如何に?


岡田:
「水泳じゃねーじゃん」と思った学生さんはやはり多かっでしょう。
でも教授が「さあ、練習して」と言われるや、総勢ドブンと飛び込み、50メートルプールに散らばって、懸命に泳ぎ始めました。真面目さに感激!この学生たちは様々な競技のトップレベルのアスリート達です。教授のお話では、まるで泳げなかった学生もいたとか。さすが体育専攻だけあって、皆運動神経抜群なのか、7か月経ったその時は全員泳げるようになった由。


藤木:
マーメイドれいこ泳ぎはできた?

ゆる泳ぎの解説動画(おしゃれな水着でYouTube より)

岡田:
教授と私はプールサイドから見下ろしながら「そうそう、その調子」パチパチパチとほめたり「力抜いて」「もっとゆっくり」と怒鳴ったり、「ペアを組んでお姫様抱っこよ」と金切り声(水の中は聞こえが悪いですから。)背泳ぎとはまた違った感覚の背浮きなので初めてのこととてそう上手くはいかない。
でも、ご安心ください。運動が得意中の得意の若者も運動苦手、カナヅチとおっしゃる高齢者においても、マーメイドれいこ泳ぎ事始では、後者の方々の方にむしろ軍配が上がるかもしれない。
「泳げる人ほど難しいと宣う」と常々私はぼやいておりますが、まさにその通り。証明できました。泳げる人は、泳げなかった時点へご自分をフォーマットしていただいた方が上手く行くようです。


藤木:
泳げる人が泳げないふりをすればマーメイドれいこ泳ぎが出来るように?


岡田:
ま、そんなところです(笑)。決して難しいものではありません。泳げない方、こっちの水は甘-いよ。

この後、対談は、更にこれを携えて資金調達して起業の話にまで発展しましたが、今回はこのあたりで